160-0023

東京都新宿区西新宿7-1-7

新宿ダイカンプラザA館1011

TEL:03-5937-4342

FAX:03-6893-0549

info@breakonthrough.biz

 

MAP

新宿駅西口より徒歩5分

What's New

2012/01/12

ウェブサイトをリニューアルいたしました。

 

 

結城聡|ブレイクオンスルー

代表ブログ

[お知らせ]ギター売ります
>> 続きを読む

[その他]2012-05-05東京は快晴だったなり
>> 続きを読む

[ITチックな話]ジャック・ドーシーのSquare(スクエア)は小売業界を間違いなく変える
>> 続きを読む

[お知らせ]Pinterest(ピンタレスト)勉強会 3/31(土)@調布moon37W
>> 続きを読む

[海外記事より]iPhone日本上陸前夜のテレビCM
>> 続きを読む

20

2月

2010

【vol.5】400戦無敗のマーケティング

『400戦無敗のマーケティング』※2010年2月10日
【bot_vol.5】

http://www.bjjfj.com/bjjfj/jjh.html

◎格闘技に興味のない人にとってはまったく面白くない号




胴長短足ガッチリ型なビジュアルである私は、


初めてお会いした人から、

28%くらいの確率で、

「柔道かラグビーをされてたんですか?」

と聞かれます。


答えはほぼYES。

推察の通りそのカテゴリーに属しています(笑)


小学生の時からずっと柔道をやっていたのですが、

25歳の時からは、

"ブラジリアン柔術"という格闘技に移行しました。



なんだそのブラジリアン柔術って?

という方も、

"グレイシー柔術"というとお分かりになるかも知れません。




【グレイシー柔術とは】

20世紀の初頭、

日本の講道館柔道が世界に柔道を広めるため、

世界の各地に屈強な柔道家を派遣し、普及活動をおこなった。


その中の一人、

前田光世(コンデコマ)がブラジルのグレイシーという姓を持つ、

一族に伝えた柔道が、

そのグレイシー家によって、

より身体の小さい者、力の弱いものでも有利に闘うことができるよう、

投げ技より寝技に重点を置き、発展していった格闘技の一種。



つまり、ゴロゴロと寝っころがって、

相手の首を絞めたり、相手の腕・足の関節を極めて(逆に曲げたりして)、

優劣を決するという、

非常に特異でにわかには信じ難い格闘技なのです(笑)





【マイナーからメジャーへ】


そのグレイシー柔術は、

1993年まで全くといってよいほど、

世界的には知られることのない存在でした。


それが93年を境に、

世界の格闘技界の台風の目となり、

90年代後半まで格闘技界はグレイシーを中心にまわっていた、

といっても過言ではないほどの存在となりました。



どうして、ブラジルのマイナー格闘技に過ぎなかったグレイシー柔術が、

世界の格闘技界を席捲するメジャーな存在に成り得たか?


グレイシー柔術のすぐれたマーケティング、プレゼンテーションは、

これから世界市場でビジネスを展開させようとする方々の、

とてもよい参考になるかと思いますので、

ご紹介させていただきます!





【グレイシー柔術のプレゼンテーション】


1)1993年11月、アメリカのコロラド州デンバーにて、

突如として、

『第1回 アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ』(UFC)

という格闘技大会が開催され、

グレイシー一族も1人の選手を出場させた。



2)UFCのルールは従来のボクシング、空手、柔道、相撲などの競技とは異なり、

バーリトゥード(ポルトガル語で「何でもあり」)と呼ばれる、

相手を殴っても、蹴っても、投げても、首を絞めても、なにやっても良いという、


意外にも、

それまで誰も考え付かなかったような、

ある種、究極ともいえるルールにて行なわれた。



3)実はそのバーリトゥード(何でもあり)こそ、

グレイシー一族な何十年にも渡って、

柔術を発展させるために取り組んでいた、

得意中の得意といっていいルールであった。

(≒総合格闘技)



4)グレイシー以外の参加者は、屈強なプロレスラー、空手家、柔道家、

そして街の喧嘩家然とした男などいずれも、

見た目にも「強さ」がビンビンと伝わってくる猛者ばかり。



5)一方グレイシー柔術側の代表は、

ホイス・グレイシーという柔道着を着た痩せっぽっちの若者。



6)大方の予想を裏切り、その大会を制したのは、

そのホイス・グレイシーだった。


タックルで相手を倒し、背後にまわり、後ろから首を絞め、

すべての対戦相手をギブアップさせ、

ホイス・グレイシーは全くの無傷で優勝した。



7)実は、その大会(UFC)を企画したのは、

そのグレイシー一族の長男であるホリオン・グレイシー。

つまり、この大会自体がグレイシー柔術の優位性を世の中に広めるための、

プレゼンテーション的な大会であったのだった。





これにより、

グレイシー柔術は、

世界の格闘技から一躍注目される存在となり、

急速な勢いで世界各地へ広がっていきました。


・ファイトマネー
・道場運営収入
・教則本、DVD販売収入
・その他グッズ販売収入

これらもその広がりに合わせ拡大していきました。



いや~、すごいですねぇ。


自分達が勝てるルールを提示して、

圧倒的な差をつけて勝つ。

相手の土俵で闘わず、

自分の土俵を用意してしまうというところがミソですね。



この話にはさらに続きがあります。






【私の兄は私の10倍強い】

第2回大会も同じく楽々と優勝したホイス・グレイシーに、

大会後インタビューがおこなわれました。



「ホイスさん、あなたは本当に強いですね。

 世界中であなたに勝てる人なんているのでしょうか?」



「なにを言ってるんですか。僕なんでまだまだ弱いですよ。

 私の兄は私より10倍強いですよ」とホイス。


世界中の格闘技界が、

「ホイスの兄って一体何者だ?」と騒然としたのは言うまでもありません。



ご想像の通り、

その10倍強い兄とは、

『ヒクソン・グレイシー』のことだったのです。



その後、ヒクソン・グレイシーは、

「400戦無敗」

というこれまたとても秀逸なキャッチフレーズを引っさげて来日し

日本の格闘技界を席捲しました。


ちなみに、

そこでもグレイシー側がその大会のルール決定に際して、

強いイニシアティブをとっていたと言われています。



以降、高田延彦、船木誠勝という日本を代表する格闘家をそれぞれ、

ギブアップ、チョークによる失神KOで退け、

グレイシーの名を不動のものにしました。





【まとめ】

1)自分の得意とするルールで闘った

2)奥行きを見せた

3)知財を守った
※グレイシー柔術は登録商標であるため、
他のアカデミー(道場)、大会は、
グレイシーを名乗れず、「ブラジリアン柔術」と呼称している。

4)強気の交渉に徹した
※ギャラ(ファイトマネー)もうなぎ上りだったという噂です。

5)負けそうな相手とは闘わない(笑)
※2000年以降、ヒクソン以外のグレイシーは総合格闘技の成熟化とともに、
なかなか勝てなくなりました。
ヒクソンはその後、誰とも闘うことなく引退。
「無敗」のイメージを守り通した。




グレイシー一族は90年代初頭、

ブラジルからアメリカのロサンゼルスへ大勢移住し、

カリフォルニアでハリウッドスターや医者、弁護士など社会的ステイタスが高い層に対し、

護身術的側面から柔術を指導したことにより、


●グレイシー柔術=セレブな護身術


というイメージ付けにも成功しており、

なにからなにまでホントに見事な展開です。


ちなみに私も親父狩り(死語?)に遭遇しても、

逆に若者をぶちのめせるように日々頑張って練習しています(笑)


皆さんも、一緒にゴロゴロと柔術やりませんか?w




このグレイシー柔術のマーケティングから、

なにか参考になることがございましたら幸いです!





【おまけの話】

グレイシー柔術は上記のようなマーケティングでしたが、


●極真空手=空手バカ一代

●K-1=芸能人が見に来る的イメージづくり(F1っぽさ)

●PRIDE=従来からのプロレスファンの取り込み


メジャーになった競技・興行には、

いずれも優れた戦略があります。




実は書いている途中に気付いていたのですが、

今回の話にはインターネットがまったく絡んでいませんでしたね(笑)




次回はまた、

インターネットを活用した海外ビジネスという視点からお送りします。



以上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。