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2月
2010
『400戦無敗のマーケティング』※2010年2月10日
【bot_vol.5】
http://www.bjjfj.com/bjjfj/jjh.html
◎格闘技に興味のない人にとってはまったく面白くない号
胴長短足ガッチリ型なビジュアルである私は、
初めてお会いした人から、
28%くらいの確率で、
「柔道かラグビーをされてたんですか?」
と聞かれます。
答えはほぼYES。
推察の通りそのカテゴリーに属しています(笑)
小学生の時からずっと柔道をやっていたのですが、
25歳の時からは、
"ブラジリアン柔術"という格闘技に移行しました。
なんだそのブラジリアン柔術って?
という方も、
"グレイシー柔術"というとお分かりになるかも知れません。
【グレイシー柔術とは】
20世紀の初頭、
日本の講道館柔道が世界に柔道を広めるため、
世界の各地に屈強な柔道家を派遣し、普及活動をおこなった。
その中の一人、
前田光世(コンデコマ)がブラジルのグレイシーという姓を持つ、
一族に伝えた柔道が、
そのグレイシー家によって、
より身体の小さい者、力の弱いものでも有利に闘うことができるよう、
投げ技より寝技に重点を置き、発展していった格闘技の一種。
つまり、ゴロゴロと寝っころがって、
相手の首を絞めたり、相手の腕・足の関節を極めて(逆に曲げたりして)、
優劣を決するという、
非常に特異でにわかには信じ難い格闘技なのです(笑)
【マイナーからメジャーへ】
そのグレイシー柔術は、
1993年まで全くといってよいほど、
世界的には知られることのない存在でした。
それが93年を境に、
世界の格闘技界の台風の目となり、
90年代後半まで格闘技界はグレイシーを中心にまわっていた、
といっても過言ではないほどの存在となりました。
どうして、ブラジルのマイナー格闘技に過ぎなかったグレイシー柔術が、
世界の格闘技界を席捲するメジャーな存在に成り得たか?
グレイシー柔術のすぐれたマーケティング、プレゼンテーションは、
これから世界市場でビジネスを展開させようとする方々の、
とてもよい参考になるかと思いますので、
ご紹介させていただきます!
【グレイシー柔術のプレゼンテーション】
1)1993年11月、アメリカのコロラド州デンバーにて、
突如として、
『第1回 アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ』(UFC)
という格闘技大会が開催され、
グレイシー一族も1人の選手を出場させた。
2)UFCのルールは従来のボクシング、空手、柔道、相撲などの競技とは異なり、
バーリトゥード(ポルトガル語で「何でもあり」)と呼ばれる、
相手を殴っても、蹴っても、投げても、首を絞めても、なにやっても良いという、
意外にも、
それまで誰も考え付かなかったような、
ある種、究極ともいえるルールにて行なわれた。
3)実はそのバーリトゥード(何でもあり)こそ、
グレイシー一族な何十年にも渡って、
柔術を発展させるために取り組んでいた、
得意中の得意といっていいルールであった。
(≒総合格闘技)
4)グレイシー以外の参加者は、屈強なプロレスラー、空手家、柔道家、
そして街の喧嘩家然とした男などいずれも、
見た目にも「強さ」がビンビンと伝わってくる猛者ばかり。
5)一方グレイシー柔術側の代表は、
ホイス・グレイシーという柔道着を着た痩せっぽっちの若者。
6)大方の予想を裏切り、その大会を制したのは、
そのホイス・グレイシーだった。
タックルで相手を倒し、背後にまわり、後ろから首を絞め、
すべての対戦相手をギブアップさせ、
ホイス・グレイシーは全くの無傷で優勝した。
7)実は、その大会(UFC)を企画したのは、
そのグレイシー一族の長男であるホリオン・グレイシー。
つまり、この大会自体がグレイシー柔術の優位性を世の中に広めるための、
プレゼンテーション的な大会であったのだった。
これにより、
グレイシー柔術は、
世界の格闘技から一躍注目される存在となり、
急速な勢いで世界各地へ広がっていきました。
・ファイトマネー
・道場運営収入
・教則本、DVD販売収入
・その他グッズ販売収入
これらもその広がりに合わせ拡大していきました。
いや~、すごいですねぇ。
自分達が勝てるルールを提示して、
圧倒的な差をつけて勝つ。
相手の土俵で闘わず、
自分の土俵を用意してしまうというところがミソですね。
この話にはさらに続きがあります。
【私の兄は私の10倍強い】
第2回大会も同じく楽々と優勝したホイス・グレイシーに、
大会後インタビューがおこなわれました。
「ホイスさん、あなたは本当に強いですね。
世界中であなたに勝てる人なんているのでしょうか?」
「なにを言ってるんですか。僕なんでまだまだ弱いですよ。
私の兄は私より10倍強いですよ」とホイス。
世界中の格闘技界が、
「ホイスの兄って一体何者だ?」と騒然としたのは言うまでもありません。
ご想像の通り、
その10倍強い兄とは、
『ヒクソン・グレイシー』のことだったのです。
その後、ヒクソン・グレイシーは、
「400戦無敗」
というこれまたとても秀逸なキャッチフレーズを引っさげて来日し、
日本の格闘技界を席捲しました。
ちなみに、
そこでもグレイシー側がその大会のルール決定に際して、
強いイニシアティブをとっていたと言われています。
以降、高田延彦、船木誠勝という日本を代表する格闘家をそれぞれ、
ギブアップ、チョークによる失神KOで退け、
グレイシーの名を不動のものにしました。
【まとめ】
1)自分の得意とするルールで闘った
2)奥行きを見せた
3)知財を守った
※グレイシー柔術は登録商標であるため、
他のアカデミー(道場)、大会は、
グレイシーを名乗れず、「ブラジリアン柔術」と呼称している。
4)強気の交渉に徹した
※ギャラ(ファイトマネー)もうなぎ上りだったという噂です。
5)負けそうな相手とは闘わない(笑)
※2000年以降、ヒクソン以外のグレイシーは総合格闘技の成熟化とともに、
なかなか勝てなくなりました。
ヒクソンはその後、誰とも闘うことなく引退。
「無敗」のイメージを守り通した。
グレイシー一族は90年代初頭、
ブラジルからアメリカのロサンゼルスへ大勢移住し、
カリフォルニアでハリウッドスターや医者、弁護士など社会的ステイタスが高い層に対し、
護身術的側面から柔術を指導したことにより、
●グレイシー柔術=セレブな護身術
というイメージ付けにも成功しており、
なにからなにまでホントに見事な展開です。
ちなみに私も親父狩り(死語?)に遭遇しても、
逆に若者をぶちのめせるように日々頑張って練習しています(笑)
皆さんも、一緒にゴロゴロと柔術やりませんか?w
このグレイシー柔術のマーケティングから、
なにか参考になることがございましたら幸いです!
【おまけの話】
グレイシー柔術は上記のようなマーケティングでしたが、
●極真空手=空手バカ一代
●K-1=芸能人が見に来る的イメージづくり(F1っぽさ)
●PRIDE=従来からのプロレスファンの取り込み
メジャーになった競技・興行には、
いずれも優れた戦略があります。
実は書いている途中に気付いていたのですが、
今回の話にはインターネットがまったく絡んでいませんでしたね(笑)
次回はまた、
インターネットを活用した海外ビジネスという視点からお送りします。
以上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。